ニューヨーク滞在記(6)

ニューヨークは多民族・多文化の坩堝であると言われる。

確かに、ニューヨークの街並みを歩くと、様々な人種・民族・宗教・文化を背負った人々が行き来している。

白人・黒人・東洋人・中南米系の人々・・・

イスラム系とおぼしき人々・・・

こうした光景を見て、ニューヨークはナショナリズムや人種対立を超えた、多文化共生社会の、人類社会の最先端を体現している街だという評価もなされる。

9・11テロの直後、雑誌「世界」に掲載された論文では、こうしたニューヨークの街並みを引き合いに出して、「テロ」対「反テロ」の古臭い「二項対立」の世界を尻目に、多人種・多民族の行き交うニューヨークは世界の行く末を示しているといった、「ポストモダン」的考察も見られた。

しかし、ニューヨークの多民族・多文化的有りようを観察していると、そこには、上に述べたような「ポストモダン」的ニューヨーク像では、必ずしもくくり切れない現実が垣間見えたように思える。

地下鉄の乗客は、白人も乗っていたが、黒人をはじめとする有色人種の比率の方が高いように見えた。

スーパーやホテルのフロントなどにいるのも、黒人や東洋人、イスラム教徒などが目立った。

街中の方々に止まっている軽食を販売している車両では、イスラム教徒の食する「ハラール」食品が目立った。

それでは白人は何をしているのだろうと言えば、おそらくは、摩天楼のビルの中でデスクワークに励んでいるのではないかと推測された。

半面、オペラ劇場やブロードウェイのミュージカル劇場、美術館などの観客は、白人が圧倒的多数で、東洋人(主に日本人の観光客)がそれにパラパラと混じり、黒人客はほとんど見られなかった。これがジャズやブルースなどの黒人音楽を観覧に行っていたら、事情は違っていたかもしれない。この光景が示しているのは、白人と非白人(特に黒人)とでは、その所属している文化も違っているということだろうと思えた。

イギリスのような階級社会では、階級ごとに文化が違うと言われる。ニューヨーひいてはアメリカでは、人種・民族・宗教の違いが、階級の違いに相応しているように思えた。

そう考えてくると、「多文化共生」をウリとしながら、裏ではウォール街とつながっている、民主党的「ポリティカル・コレクトネス」も、いささかならず、眉唾ものに思える。