新聞・TV絶ちして1年半

 1昨年の秋に,それまで購読していた朝日新聞日本経済新聞を取るのを止めてから,1年半になる。
 日本の放送局のTV番組は,既にそれ以前からほとんど見なくなっていたから,新聞を止めたことで,日本のマスメディアとはほぼ縁切りの状態になった。

 その代わりとして,インターネットでニュースを調べる他,新聞は英字紙のHerald Tribune(朝日新聞の英字版が付録でついているのが余計だが),TVは衛星BS1の朝のワールドニュースで放映されているCNN,BBCなどの外国ニュースを見るようにしている。

 どうして,日本の新聞・TVを止めようと思ったのか,今となっては記憶も定かではない。比較的長い期間にわたってフラストレーションが溜まり続けていて,何かのきっかけでこういう形を取ったのだろう。
 止めてしばらくは,自分が言論統制下のソビエト連邦で,BBCやヴォイス・オブ・アメリカに耳を傾けている異論派知識人にでもなったような気がして,なにやらはしゃいだ気分になれた。
 そして,この頃から,家庭でも外でも,機会があればマスメディアへの悪口雑言を吐くことが多くなった。とりわけ朝日新聞の悪口が多いので,比較的右側の人からの,「お前もとうとう朝日批判に回ったか」と,これはどうも根本的に誤解されているような,なにやらこそばゆい反応にも出会った。

 辞書なしですらすら英字紙を読めるほどの語学力はないので,英字紙購読というよりは辞書を引き引きの○○歳の英語再学習といった趣ではある。それでも,記事の選択,論評の視点等々について,海外ジャーナリズムの視点と日本のそれとの落差は,自ずと意識させられる。そのことによって,日本のマスメディアの報道を相対化し,あえて言えば,正気を保つために,このような迂回作戦を取っている。

 海外のメディアが常に公正妥当であると言うつもりはない。どの国のメディアにも偏向や情報操作は見られる。特にアメリカのCNNの報道内容には問題が多い。
 しかし,それでも,日本のメディア空間の中で窒息するよりは,はるかにましである。なによりも,フラストレーションの溜まり具合が全く異なる。

 日本のメディアと縁を切って後,この国のメディア空間では,「郵政改革選挙」やら,「中国・韓国の反日運動」やら,「人権派弁護士の法廷欠席戦術」やらで,いろいろ騒ぎがあったようであるが,そうこうしている間にも,海外,とりわけ欧米のメディアでは,日本の影は日に日に薄くなりつつある。日本のメディア空間の閉塞化は,実は,こうした海外での日本の存在感の希薄化と,どこかで照応しているように思われる。