ロシアはファシズムに向かいつつあるか

 プーチンソ連邦崩壊を20世紀最大の地政学的悲劇と呼んでいる。

 ゴルバチョフが始めたペレストロイカグラスノスチは、これまで抑え込まれていた異論派と民族主義を解き放ち、社会の流動化とソ連邦構成共和国の独立への動きを促進した。これを受けたエリツィンの急進改革は、ソ連邦解体とショック療法的民営化に突き進み、民営化の過程では、国有財産を管理する立場にあった者達が二束三文で国有財産の払い渡しを受けて財をなし、こうした者達は「オリガルヒ」と呼ばれて民営化されたロシア経済を牛耳った(岩上安身「あらかじめ裏切られた革命」)。ナオミ・クラインショック・ドクトリン」は、こうしたソ連ーロシアの民営化を、「新自由主義によるショック・ドクトリン」の典型として紹介している。

 こうしたゴルバチョフエリツィンによる改革の結果、ソ連邦社会主義経済体制はトランプの城の如く崩壊し、GDPは半減してブラジルなみにまで落ち込み、社会主義下で安定した年金生活を送っていた者たちは、社会保障の支えを失い、塗炭の苦しみを舐めることになった。

 西側諸国では、全体主義体制の桎梏からの解放として賞賛されたゴルバチョフエリツィンの改革は、ソ連―ロシア国民にとっては、国家と生活の全崩壊を招いた惨事として経験された。

 このため、ゴルバチョフエリツィンソ連邦を崩壊させた国賊と罵られ、ソ連邦と今のロシアとどちらが好ましいかという世論調査では、50%以上がソ連の方が良かったかと答え、ソ連時代の経験を記憶している高齢者層では、実に80%以上がソ連の方が良かったと答えている。

 こうして、アメリカを中心として「人類普遍の価値観」とまで持ち上げられている自由民主主義―資本主義体制は、ロシアにおいては、プーチンの述べるところの、20世紀最大の地政学的悲劇をもたらし、国民に塗炭の苦しみを与えたイデオロギーとして、忌避する者が少なからず存在するのである。

 尤も、この改革はソ連共産党ゴルバチョフが自発的に開始したもので、敗戦によって押し付けられたものではない。だから、ロシア国民の気持ちとしては、改革の結果としての現状から出発し、十分とは言えないまでも瓦礫と化した旧ソ連邦の中から一歩一歩国家と生活を立て直してゆく過程として受け止められた。この過程を代表するのがプーチンであって、権威主義的統治手法によって国の治安と安定を取り戻し、経済分野ではオリガルヒを整理し、石油・天然ガスをはじめとした資源産業を育成し、曲がりなりにも高度成長を成し遂げ、BRICSの一翼を担うまで回復させてきた。プーチンが国民の多くの支持を集めたのは、ロシア国民の舐めた経験に照らせば、むしろ、当然だったと言わなければならない。

 しかし、ヘルシンキ合意など自分達の働きかけによってソ連の「民主化」「自由化」を促し、その結果としてソ連を解体させて、冷戦に「勝利」したと受け止めた「西側諸国」は、ゴルバチョフエリツィンの後を継いだプーチン権威主義的統治手法に不満を抱き、ソ連時代への後退とみなして、その「人権侵害」や「非民主的」統治手法を批判するようになった。「西側諸国」は反体制派によるプーチン政治批判のデモを称賛し、選挙の公正さに疑問を投げかけ、KGB的政治手法を指摘するなど、外部からの批判を繰り返したが、国家秩序が再建されたかとか、ロシア人の生活が改善されたかどうかについては二次的三次的な関心しか示さなかった。こうした「西側諸国」による批判は、ロシアとロシア国民の多数派にとっては、政治的「民主化」と「自由化」だけを問題として、事あるごとに口を差し挟み、徒にロシアの内政に混乱を招く、敵対的行為とみなされるようになった。

 ここには、双方の問題関心の決定的なずれ、すれ違いが生じていた。

 かくして、ロシアとロシア国民多数派の間には、「西側世論」の真意を疑い、「西側諸国」はロシアの改革を望むというよりは、むしろ、ロシアの弱体化・解体を望んでいるのではないかという疑念が膨らんでゆくことになった。

 こうして、ロシアでは、「ロシアは欧米に騙され、押しやられ、虐げられている」という被害感情に根差したナショナリズムが台頭し、欧米と対峙する排外的感情が育ち、「民主化」「自由化」に対してはますます敵対的になっていった。

 それは、どこかファシズムに似ている。