アメリカ中間選挙結果


 アメリ中間選挙での共和党の敗北は,サッチャーレーガン以来の四半世紀に及ぶ世界的な保守化の波の終わりを告げるものとなるかもしれない。ブッシュ政権は保守化の波の行き着いた果てを示す政権だった。その政権が行き詰まりを見せたということは,単に一政権の帰趨に止まらず,歴史の流れの一つの転換点のようにも思えるのである。


 保守化の流れの源は,1968年の騒乱に求められる。今日,しばしば,新左翼の祝祭とみなされることの多い1960年代後半の騒乱は,一面では,左翼,リベラルの凋落の始まりとも見ることができるものであった。


 元々,左翼,とりわけ共産主義マルクス・レーニン主義による主要な問題提起の一つは,貧困の問題であった。共産主義は世界の飢えたる者のための福音であることを目指し,世界に対して貧困の問題をどう解決するのかと問いかけたのである。「貧乏物語」からマルクス研究に入った河上肇博士の軌跡は,当初,共産主義がどうしてあれだけ人びとを惹きつけたのか,その典型例を,河上博士という優れた人格者のたどった軌跡を通して示してくれている。そして,大恐慌にあえぐ資本主義世界を尻目に,計画経済の下,急速な成長を遂げつつあったソ連の姿は,共産主義の優位性を示すものと受け取られ,ここから,共産主義こそ地球から貧困と搾取を根絶するものとの期待を抱かせたのである。


 しかし,第二次大戦後,盟主となったアメリカを中心とする資本主義世界の長期の繁栄は,こうした共産主義の優位性を掘り崩していった。1960年代後半の資本主義世界は「豊かな世界」を謳歌し,そこに住む住民の少なからぬ部分に繁栄の配当を及ぼしていた。既にこの時代には,少なくとも先進諸国においては,窮乏化による革命というテーゼは急速に古ぼけた,現実性のない教条と化していっていた。この時期に登場した新左翼は,こうした「既成左翼」の古ぼけて硬直化した教条を批判し,左翼運動を革新する運動として台頭したものである。


 しかし,左翼陣営が「既成左翼」と「新左翼」に分岐し,さらにそれぞれの陣営内で細分化し,対立しあっていったのは,とりもなおさず,左翼運動が行き詰まり,混迷し始めたことの反映であった。それは,カトリック1500年の果ての教会分裂の如き現象であって,そこでは左翼理論・運動の様々な可能性が議論され,試されたものの,次第に総体として混迷に陥ってゆく,そうした過程であった。
 日本におけるいわゆる内ゲバは,こうした左翼ー共産主義運動の混迷の最も先鋭な反映であったし,国際的には,中ソ対立,中国における毛沢東文革派の失権と訒小平路線への転換,カンボジアのキリングフィールド,ベトナムカンボジア侵攻,中越戦争ソ連のアフガン侵攻等々によって,一層の混迷を深めてゆくことになったのである。


 他方,左翼運動におけるもう一方の流れである,西欧における社会民主主義福祉国家路線,アメリカにおける「リベラル」の流れも,70年代に至って,福祉国家においては国家財政の破綻と経済の非効率,「リベラル」においては自由の放縦化と非道徳化に対する保守派の攻撃(それは,何よりも,60年代カウンターカルチャーアナーキーに対する保守派の嫌悪感に根ざしたものだったと言える)にぶつかり,これまた退潮を余儀なくされた。


 サッチャーレーガンに始まる保守化の波は,上のような左翼・リベラルの混迷を踏まえ,これを批判することを通して台頭してきたものであって,それは本質において「反左翼」,言い換えれば,右翼的な流れだったと言える。
 それは,現実主義,権威主義国家主義,道徳主義,新自由主義等々の理念・政策を内実とするものであるが,一言で言えば,反左翼・反リベラルとして要約することができるものである。
 それは,左翼の混迷の反面であり,その合わせ鏡だったのであって,左翼・リベラルの混迷が必然である限りにおいて,保守化の流れもまた必然であったと言える。


 この度のアメリ中間選挙における共和党の敗北は,こうした保守化の流れが遂にある壁にぶつかったのではないかと思わせる。


 今回の中間選挙における共和党ブッシュ政権の敗北を最深部において規定していたのは,イラク・アフガンにおける反米ーイスラム勢力の武装抵抗である。そして,今後,流れの変化の方向を先端において指し示すのは,イラク情勢をはじめとする中東ーイスラム世界の動乱の行方であり,これと連動する形での欧州,そしてアメリカにおける移民問題の帰趨である。当面の焦点である中東ーイスラム世界の動乱は,これまでのようなアメリカ・イスラエル対アラブ・ムスリム世界という分かりやすい図式から,次第に春秋戦国的な複数勢力による合従連衡のゲームへと混迷を深めてゆくのではないかと思われる。
 そして,こうした世界政治の焦点を梃子として,中国・インド・ロシア・中南米等々の世界各地域情勢の進展,それに伴う米欧日覇権構造の動揺が促されることになろう。


 世界は多極化と混迷を深める可能性が高いが,その中から新しい流れが見えてくることになろう。それは,左翼・リベラル勢力の復権を促すかもしれないが(例えば,中南米のように),それとは別の流れが優勢となるかもしれない(イスラム主義のように)。どのような流れが優勢になるかは,今後の私たち一人一人の思索・生活・生き様によって形成されることになろう。


 さしあたって必要な作業は,これまでの四半世紀にわたる保守化の諸相を,左翼・リベラルの混迷・挫折の諸相と対応させつつ,イデオロギーと実践の両面にわたって,一つの歴史の画期として,検証してゆくことではないか。この作業を通して,左翼の退潮と保守化を促した動因を探る中で,新しい時代の流れも見えてくるのではないだろうか。