映画「靖国」の感想


 李纓(Li Ying)監督の映画「靖国」を,十三の「第七藝術劇場」で観てきた。
 9時半開演の初回で,客席の入りは6割程度か。


 国家意思と遺族感情が複雑に交錯する靖国神社問題を体系的に論じるだけの時間も意欲も,今の私にはない。
 ここでは,映画を観ての断片的感想を素描するに止めたい。


 映画は,「靖国刀」を作る老いた一人の刀匠へのインタビューを一つの柱とし,終戦記念日の8月15日に靖国神社で繰り広げられる様々な光景をもう一つの柱として,両者を交互に見せながら,靖国をめぐる映像を淡々と映し出してゆく。声高な評釈もなければ,わざとらしい演出もなく,それぞれの映像自身に語らしめる手法であり,そうした映像が次々と織りなされてゆくなかで,おのずと靖国問題の諸相を浮かび上がらせることに成功している。


 刀匠へのインタビューは,この戦前育ちの老いた日本人,寡黙で朴訥,己を飾ることなく,生業に精魂を傾け,皇室を崇拝し,戦前戦後の苦難の時代を昭和天皇と共に生き抜いてきたであろう彼を,そのありのままの姿で映しだしている。このような古き善き日本人こそ,靖国神社をその根底において支えてきた存在であると,映画は無言のうちに語っている。


 靖国神社のご神体は一振りの日本刀である。この事実と,映画のラスト近くになって刀匠によって吟ぜられる水戸光圀漢詩「日本刀を詠ず」とを繋ぐとき,江戸時代から大日本帝国へと貫通する,日本刀によって表される歴史のつながりが見えてくる。
 今日の自衛隊において,日本刀がどのような扱いをされているのか,つまびらかにしないが,かっての皇軍においては,日本刀は軍刀とされ,現実の武器として用いられていた。こうして,皇軍は自らを近世以前の日本の武士の継承者とみなした。
 そして,この日本刀は,捕虜の斬首に用いられたことによって,日本と戦火を交えた国にとっては,日本軍国主義の呪われた象徴とみなされたのである。


 そして,8月15日に,皇軍の軍服に身を固めた老兵士の参拝姿は,この靖国神社という場所が,既に滅びたと思われている大日本帝国の亡霊を今日の日本国へと繋ぐタイムトンネルになっていることを明らかにする。
 この靖国神社という場所が,アメリカのアーリントン墓地や中国の革命烈士記念碑と区別されるのは,これら外国の戦没者慰霊施設が,現にそこにあるものとしてのアメリカ合衆国中華人民共和国に自らの一身を捧げた兵士のためのものであるのに対して,靖国神社という施設はかっての大日本帝国と命運を共にし,既に大日本帝国という名前が使用されなくなった今日においても,大日本帝国への忠誠を変えていない点にある。


 こうして,靖国神社という空間は,英霊の顕彰という形をとおして,現代日本の中に既に滅びたはずの大日本帝国の亡霊を蘇らせ,更には,江戸時代以前にまで遡る日本武士道の霊廟でもある。


 ここで問われているのは,大日本帝国から日本国への国号の変更は,国家の断絶を意味するのか,それとも依然として連続しているのか,あるいは,連続を復活させるべきなのか,ということである。


 こうした靖国神社の複雑な性格が,同神社の問題を単なる戦没者慰霊施設の問題として処理することを困難ならしめているのだと思われる。