北朝鮮問題を考える(2)


 北朝鮮を巡っては,様々な問題が重層し,錯綜して,その解決は困難を極める。しかし,解決の道筋を考えてゆくためには,これら錯綜する諸問題を一度,分離し,問題毎にその本質と解決策を探る作業が不可欠である。その後にもう一度リンクさせるかどうかは,問題解明の後の政治的駆け引きの問題である。

 現在焦点となっている核問題は,世界権力政治の根幹に関わる問題であり,それ故に,各国の外交実践上,最も重視されることになる。
 6カ国協議米朝2国間交渉が核問題を中心に行われるのは,その意味で,理の当然である。
 北朝鮮を追い詰めすぎて核保有宣言に至らせたのは,アメリカ・ブッシュ政権,および,これに追随した日本の安倍政権による対北朝鮮強硬策の失敗を示すものであった。一旦,現実の核保有に至れば,核による報復の危険を考慮することなく,軍事的措置に出ることは,最早不可能となる。かといって,従来どおりの,北朝鮮に緊張状態を強制し,その疲弊を待つという政策を続けることも,北朝鮮の更なるリアクションを招く危険性を持つ。後は,経済制裁等で圧力を加えながら,核の放棄と引換えに北朝鮮との和解を提示するしか,選択肢は残っていなかった。そして,事態は,そのとおりに進展した。
 ここで追求されているのは,核の安全化であり,拡散防止であって,必ずしも即時の完全廃絶ではないだろう。完全廃絶が実現されればそれに越したことはないが,ブッシュ政権によるイラク戦争という大変悪い先例に学んだ北朝鮮は,自国の安全に対する保障措置の見返りなしに,容易には,核廃絶に応じようとしないであろう。とすると,当面の目標は,アメリカを初めとする「国際社会」から見た北朝鮮の核の「安全化」であり,それを支える外交的制度的枠組みの構築であろう。また,アメリカにとっては,北朝鮮の核保有自体は,(アメリカの方から先にちょっかいを出すのでない限り)さほど脅威とはみなされておらず,むしろ重点は核拡散の防止にあったから,アメリカ自身の自国安全保障にとっては,北朝鮮の核の「安全化」で充分であったと言えよう。むしろ,北朝鮮の核保有から最大の脅威を受けるのは,ほかならない日本であった。

 ところで,北朝鮮の核問題において,諸国が懸念していたのは,北朝鮮の動向だけではない。ある意味では,それ以上に懸念されていたのが,北朝鮮の核保有に対抗するため,あるいは,対抗するという口実の下に,日本が核保有に踏み切るのではないかという問題であった。
 そして,このことを意識してか,最近,この国では,核保有の議論を持ち出して,これを取引カードとしてちらつかせるかのような動きも散見される。
 しかし,日本の核保有という選択は,少なくとも現時点では,現実性を持たない。憲法国民意識という障害に止まらず,アメリカを初めとする「国際社会」が日本の核武装を容易に許すとは考えられない。それは,北朝鮮核武装よりも数段強い反発を「国際社会」に招くだろう。このことはNPT(核拡散防止条約)体制における核査察の主たる対象国が外ならぬ日本であるという事実を示すだけで明らかであろう。
 しかし,六カ国協議の隠れた主役が日本であるということは,少なくとも,日本を除外する形で協議を進展させることはしにくいということを意味する。ここに日本の,交渉力の隠された源泉があったと考えられ,本来は日本と北朝鮮の二国間問題である拉致問題を六カ国協議に持ち込めた一因でもあったろう。

 しかし,協議の進展を望むアメリカ外の諸国が日本に対して,拉致問題の進展とは,具体的にはどういうことを意味するのかと問うても,日本から納得のゆく説明を得られなかった結果,任期切れを間近に控えたブッシュ政権がしびれを切らす形で日本の抵抗を押し切って進めたのが,今回のテロ国家指定解除に向けた動きであった。

 かくして,安倍内閣による対北朝鮮強硬策は,日本が最大の脅威を受ける北朝鮮核武装拉致問題切捨てという,日本にとって最悪の結果をもたらすことになった。
 ここで露わになっているのは,「世論」を背景とした対外硬政策の危うさであり,軍事・安全保障面に過度に傾斜した結果の外交の不在である。北朝鮮という極めてデリケートな問題に対して強硬策一本やりで突き進み,交渉の道を閉ざしてしまった結果,日本はアメリカから梯子を外される形となり,外交的孤立に陥ったのである。