検察とは何か

 今回の小沢民主党代表秘書逮捕事件で、検察を司法権の一員と捉えている意見をよく見かけた。こうした意見は、検察を司法権の一員と捉えた上で、現在の日本では司法権の独立が保障されており、司法権は政治的圧力から守られているので、「国策捜査」などありえないとするのである。

 確かに、検察は刑事事件で公訴を提起し、訴訟を遂行し、被告人に対する求刑を行うという形で、刑事裁判の当事者として刑事司法に関与する立場にある。また、検察官は裁判官、弁護士とともに、司法試験合格者の中から採用され、司法修習生として同じ釜の飯を食った経験を共有している。こうした点から、検察官が「司法官的性格」を有していることは事実である。

 しかし、現行法制上は、日本国憲法76条が「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」と規定しているとおり、司法権の主体は裁判所であって、検察ではない。検察局が裁判所に設置されていた戦前とは異なり、現在の検察は法務大臣の指揮監督を受ける(検察庁法第14条)行政機関である。国家行政組織法上、検察庁法務省の「特別の機関」(国家行政組織法8条の3)として法務省の傘下にあり、検察権の行使は、内閣の一員たる法務大臣を通じて、国会からの責任追及を受けうる立場にある(憲法66条3項)。

 尤も、検察の「司法官的性格」に鑑み、検察官には裁判官類似の身分保障が認められ、また、個別の事件処理については、法務大臣は事件処理にあたっている個々の検察官を指揮監督することはできず、検事総長を通してのみ指揮監督できるとされているのであるが(検察庁法14条)、逆に検事総長を通してなら指揮監督ができるのであり、現に昭和29年の造船疑獄事件で、時の犬養法務大臣検事総長に対する指揮権を発動して、時の佐藤栄作自由党幹事長に対する逮捕を中止させた先例がある。

 また、裁判所について、司法権の独立という場合、全体としての裁判所が議会、政府からの圧力を受けないというにとどまらず、個々の裁判官も独立が保障され、議会、政府のみならず、裁判所の上級機関からも指揮を受けないという保障を包含している。これに対して、検察においては「検察官一体の原則」が唱えられ、検事総長を頂点とした上命下服の関係にある。これは、検察官を司法官と見れば異例のこととなるが、行政官と見れば当たり前のことであって、只、検察官が「司法官的性格」を有するとされるために、講学上、ことさらに「検察官一体の原則」が論じられるのである。

 このように、検察は、刑事司法に係わる領域においても既に、司法とは異質な原理を内包しているのであるが、更に、検察は刑事司法以外の分野にもかかわることによって、その行政官としての性格を、一層、帯びることになる。 検察庁国家行政組織法上は法務省傘下の組織にすぎないが、実際には法務省の主要部局は検察官が占めており、組織法上の位置関係とは逆転している。法務省は、出入国管理や刑務所、登記事務などを司るほか、民法、刑法、商法などの基本法制(いわゆる「六法」)にかかわる法案作成等に携わっている。

 検察官制度は、中世フランスにおいて、「国王の代官」が訴追官として裁判に関与するようになったことに端を発している。このように、検察官は裁判における「政府の代理人」であることにその本質があり、現在でも、行政訴訟において、国が被告として訴えられた場合、訟務検事が国(政府)の代理人として訴訟に関与する。刑事司法においても、検察官は国家・政府の代理人として、国家秩序の維持という見地から訴訟を遂行するのであり、被害者の代理人として関与しているのではない。