北朝鮮の新たな核実験

 4月の「飛翔体」発射実験に引き続いての,5月25日の北朝鮮による新たな核実験実施は,この国のいつもながらの横紙破りぶりを,改めて印象づけるものとなった。

 ブッシュ政権当時の北朝鮮の核実験を初めとする強硬路線は,ブッシュ政権北朝鮮に対して「悪の枢軸」呼ばわりするなどの敵視政策に走ったことへの対抗行動として理解することもできなくはなかった。
 しかし,今回の北朝鮮の行動は,ブッシュ政権に代わったオバマ政権が北朝鮮に対しても対話のシグナルを送り,現に特使を派遣しようと打診を行なったのを振り切る形で強行されたものである。

 こうした北朝鮮の行動をみるとき,この国は国際政治において何よりもパワー,なかんずく軍事力を重視し,相手がどう出ようとお構いなく,何が何でも強力な軍事的抑止力を手に入れようと,なりふり構わず邁進しているように見える。即ち,ブッシュ政権のように相手が恫喝を加えてきたときは,恫喝を以てこれに対応し,相手が対話を呼びかけてきたときは相手の手が緩められた好機と見て核開発を推進し,周辺諸国から核放棄を迫られたときは一応は協議に応じる姿勢を見せつつ,時間を稼ぎながら核開発への布石を打ってゆくという,そういう行動を取り続けている。ここに見られるのは,国際政治においてはパワーこそが全てであり,これに対して,例えば,日本国憲法前文に言うところの「平和を愛する諸国民の公正と信義」の如きは国際政治においては無に等しいといわんばかりの,徹底した権力政治への執着ぶりである。

 国際政治におけるパワーの比重の大きさは,今更言うまでもない。しかし,ここから進んで国際政治の関係を決するのはひとえにパワーであり,話し合いや相互信頼はみせかけの芝居にすぎないという見地の下に行動する国に対しては,およそ「食うか,食われるか」の関係しか成り立たなくなってしまう。もし,国際政治では話し合いや相互信頼はどうでもよいというのであれば,国と国との間の外交という営みは成り立たない。交渉に基づく合意や締結された条約を都合が悪くなれば守らなくてもよいというのであれば,誰も条約など結びはしない。北朝鮮の行動パターンは正にこれに近いのであって,当然のことながら他国から信頼を受けられず,その結果として,北朝鮮も相手国を信頼できないという,悪循環が続くことになる。そのことが更に北朝鮮の力に頼る傾向を強めさせている。

 こうした,国際政治を力の均衡に基づくパワーゲームとみなし,外交はパワーゲームを覆い隠すレトリックに過ぎないとみなすのは,ゴルバチョフ登場以前のソ連外交にもみられた特徴であった。ソ連外交においては,ソ連と欧米諸国との関係は,資本主義と社会主義の相容れない闘争過程であり,その闘争過程はどちらかが倒れるまで続くと解されていたから,基本的に国と国との信頼関係が成立しがたい関係にあった。このことが,「ミスター・ニェット(否)」と呼ばれるグロムイコ外交のスタイルを生んだと言えよう。

 しかし,世界の三分の一が社会主義圏として資本主義圏と対峙していた冷戦時代ならばともかく,ソ連が崩壊し,残った中国やベトナムなどの社会主義国も世界革命の旗を降ろしてグローバル市場経済に参入している現在では,北朝鮮のような方向を貫くことは,即,孤立の道に迷い込むことにしかならない。北朝鮮の現在の窮地は,この点に由来するのであり,そうであるが故に,最低限,中国やベトナムなどにならった方向転換は不可避であると思われるが,北朝鮮は,なお,自ら足踏みを続ける途へ迷い込むつもりであろうか。