オサマ・ビン・ラディンの殺害

 アメリカ海軍特殊部隊によるオサマ・ビン・ラディンの殺害。

 オサマ・ビン・ラディンの隠れ家は,パキスタン士官学校のある場所からほど近くの要塞のような邸宅であったとのこと。この事実は,パキスタン内部に有力な庇護者のいたことを示唆している。
 こうした,パキスタンの一部勢力ーアルカイダタリバンの隠された関係は,これまでにもしばしば囁かれてきた。
 さらに言えば,対ソ連のアフガン・ゲリラ支援をめぐるアメリカとパキスタンオサマ・ビン・ラディンの連携,ビン・ラディン家とブッシュ前大統領との関係,サウジアラビア王家の一部勢力,ワッハーブ派とアラブ・アフガンゲリラ,アメリカCIAの関係等々も,以前から散々,聞かされてきた。

 こうした諸関係は,表沙汰にできない,汚い,呉越同舟の,裏切りを孕んだ,後ろを見せたら刺されかねない,取引関係であり,そこに孕まれていた葛藤が表面化したのが,湾岸戦争以後の「イスラム過激派」のテロとこれに対するアメリカの反テロ戦争の応酬なのであろう。そうした過程の中で,アメリカとパキスタンサウジアラビアとの関係も,アクロバットのような「友好」関係をかろうじて維持していたのであろう。

 これがテロと反テロ戦争の実態だとすれば,それは何に例えるべきか。
 日本のバブル崩壊後,それまで利用してきた闇の勢力と手を切ろうとした金融機関の幹部が報復と見られる殺害攻撃を受けたことがあった。
 また,戦前の関東軍はそれまで「友好」関係にあった筈の張作霖を謀略的手口で殺害した。
 アルカイダによるアメリカ攻撃と,アメリカによるオサマ・ビン・ラディン殺害は,以上のような歴史的出来事を想起させてくれる。

 そして,それは,作戦成功後にオバマ大統領が発した「正義は実行された」というコメントとは,かなり隔たった実態を垣間見せたように思う。