震災とボランティア

 今回の震災を阪神淡路大震災と比べてみて、気になるのが被災地でのボランティアの影の薄さである。

 阪神淡路大震災のときは、震災から日を置かずして、被災地には様々なボランティアが押し寄せてきた。報道を駆けつけてきた全国の若者層、被災者の家族から宗教団体、企業、労組から動物愛好団体まで、様々な人達が自発的に、駆り立てられるような気持ちで駆けつけてくれた。このボランティアの活躍は、阪神淡路大震災における際だった特長の一つだった。

 それに比べて、今回の震災では、テレビ画像でボランティアの姿を見ることが余りない。ここ数日、ようやく動きが見え始めたようだが、それも根拠地に集結したボランティア達が、被災地からの要請がなくて手持ち無沙汰に待機しているミスマッチの映像だったりする。

 どうして、このような違いが生じたのだろうか。

 報道を見ているうちに分ってきたのは、阪神淡路大震災のときから今回の震災に至る期間に、災害復興活動におけるボランティアの位置づけがすっかり換わっていたことが、その原因らしいと気づかされた。

 それによると、組織だっていない個人的なボランティアが、被災の初期から押しかけても、自分達の食料も調達できずに被災地の物に頼ることになり、押しかける車で渋滞が起こりかえって初期の緊急救助の妨げとなり、無秩序な援助は物資の重複や不要な物の仕分けのための面倒を現地に負わせることになり、ありがた迷惑にしかならない、ボランティアは、初期の緊急救助の段階が終わり、社会福祉協議会などのプロの援助団体が被災地視察と根拠地建設を行った後に、行政との緊密な連絡のもとに、秩序だって行われるべきだ、とされているようなのである。こうしたボランティア観からは、行政の下請け、補完としてのボランティアしか存立の余地はないように見える。

 しかし、こうしたボランティア観は、果たしてボランティアの正しい位置づけなのだろうか?

 阪神淡路大震災の被災者の一人として、当時、私は全国から駆けつけてきてくれた様々なボランティアの人達に対して、心温まる感謝の念を抱きこそすれ、ありがた迷惑といった感想を抱いたことはなかった。
 慣れないボランティア活動で、ミスマッチのようなことも起こったかもしれないし、中には心得の足りない者がいて、現地と摩擦が生じた場合もあったかもしれないが、総じて、ボランティアを迎える現地の空気は暖かかったのではないだろうか。自分も被災したという人のブログで、こうした私の記憶と全く違ったボランティア像を描いている人もいて、同じ体験をした人の受け止め方の多様さに一驚したが、それでも、私のボランティア像を修正するものにはならなかった。当時、むしろ、大きな反感を持って受け止められていたのは、東京のマスコミの傲慢さと、行政の融通のきかない杓子定規のやり方ー避難所に入っていない者には支援物質を配らない、他の避難所と衡平を欠くとしてホテルなどが提供しようとした宿泊施設を避難所として使用することを断るなど−だった。ボランティアの統制は取れていないものの、自由闊達な活動は、その対極にあるものとして捕らえられていたように思う。気のきいたボランティア団体の人達は、杓子定規の行政の援助の手の届かない隙間に入り込み、おのずと行政と役割を分かち合い、補完関係に立っていたように思う。

 これに対して、今回の震災においては、物資が集結地点まで届いて山積みにされているのに、そこから先に届かない、行政とその延長にある社会福祉協議会が仕切ってしまって折角集まってきたボランティアも活用できていない、自衛隊ばかりが脚光を浴びて(自衛隊の果たした役割はもとより否定できないものの)、他の領域の援助が出遅れ、総合的な援助になっていない、緊急用車両の通行が優先された結果、外にいる家族が現地に出向いての援助も押しとどめられるなど、いわゆる「危機管理」論に基づく援助スキームがミスマッチを起こし、援助の遅れを招いているように思えて仕方がない。こうした本質的な視覚からの批判的見直し作業がなされていないように感じる。