シアトル訪問記

 私の連れ合いの妹さんがアメリカに在住しており,その娘さんがこのたび晴れて結婚することになり,その結婚式に出席するため,7月28日(月)から8月5日(火)までの9日間,夏季休暇も兼ねて,アメリカのシアトルに旅行してきました。その訪問記を書き留めておきたいと思います。

 7月28日(月)の朝に自宅を出発して新大阪から特急「はるか」で関空へ。大韓航空プレステージクラス(ビジネスクラス)にて,ソウルの仁川空港経由で,シアトルに飛びました。
 日本では,大韓航空に対して,よくないイメージを抱いている人もいるようですが,これまで何回か利用した限りでは,水準以上の航空会社だと思います。今回利用した便は,関空→仁川,仁川→シアトル,シアトル→仁川,仁川→関空のいずれも,プレステージクラスの席はファーストクラス並みの180度まで水平化でき,おかげで熟睡できました。飛行の初めと終わりにパーサーや担当スチュワーデスが挨拶に来るのもファースト並み,荷物を収納ケースに上げようとすると,すぐにスチュワーデスが駆け寄ってきて手伝ってくれますし,日本便の乗務員は日本語で語りかけ,シアトル便の乗務員は英語で語りかけて,運行先を意識したサービスを心掛けていました。反面,搭乗時のウェルカムドリンクはジュース主体でシャンパンは出さず,食事中のワインもこちらから頼まない限り原則1杯といった具合に,上手に経費削減をしているように見えました。こうした傾向は,仁川空港のビジネスラウンジでも同様で,以前と比べると飲食物の用意が簡素化されていたように思います。格安航空会社との世界的な競争下で,ナショナルフラッグといえども,費用対効果を意識せざるをえないのかもしれません。

 シアトルの空港に到着して,入国検査を受けました。
 指紋は両手10本とも採取され,顔写真を取られ,荷物は一旦受け取ったあと,さらに検査に回されるという,物々しさです。
 検査の厳重さは出国の時も同様で,指紋採取や顔写真はない代わりに,靴を脱がされた上に,両手を挙げさせられて全身スキャン(衣服を通して全裸状態が画面に映し出されるという,例のやつです)を受け,ようやく出国となりました。
 要は,治安と旅行客のプライバシーとの衡量にあたって,治安上の考慮を優先させているわけですが,犯罪者扱いされる側にとっては,あまり気分のいいものではありません。採取された個人情報は,治安情報として保管されるのでしょうか。
 こうしたアメリカの出入国審査の厳重さは,恐らく世界で最も厳しいものではないでしょうか。たとえば,中国の出入国審査は,これよりはるかに簡素だったと記憶しています。9・11以降,アメリカは,ある意味で,世界で最も閉じられた,いわば,国の周囲に城壁を張り巡らしたような国に変貌しているように思えます。これは,アメリカという国と世界のその他の地域との間に横たわる,冷え冷えとした敵意を象徴するものでしょう。

 日本からアメリカに向かう途中で日付変更線を越えますので,7月28日に日本を出発して機内で夜を過ごしても,到着地のアメリカは未だ7月28日です。それから帰国日の8月4日まで,8日間にわたるシアトル滞在となりました。この間,新郎新婦とその家族らの厚い歓待を受けて,楽しい日々を過ごすことができました。

 飛行機の窓から見下ろすと,シアトルとその近郊は海岸と島嶼部,入り組んだ水郷に接し,緑に満ち溢れ,その中に一戸建てのお屋敷が立ち並ぶ,風光明媚な所です。アメリカに行くたびにその広大さと豊かさに感心しますが,その中でもシアトルは群を抜いて裕福な街でしょう。
 高層ビルもあることはありますが,全体としてはビルも低層のものが多く,住宅の多くは庭付きの一戸建てです。土地を贅沢に使っているため,街全体がゆったりと余裕があり,広大な地域の割に,人口は約60万人と比較的少数です。
 街全体に緑が溢れており,街に落ち着きをもたらしています。
 名物のシーフードを筆頭に,各種アメリカ料理やメキシコ,日本,タイなどの各国料理のレストランもあり,少なくともアメリカ標準を前提とすれば,比較的,味は多彩な方でしょう。
 「オーガニック(有機栽培)」,「フェアトレード(公正取引)」を標榜している店や商品が多くみられ,これがシアトルのカラーであるように思われました。

 シアトルを代表する企業が,ボーイング社(2001年まで本社所在地)とマイクロソフト社です。今回の訪問では,このアメリカを代表する2社の企業見学をすることができました。

 ボーイング社は工場見学に参加し,各国航空会社向けの旅客機組立現場を見学させてもらいました。工場内に星条旗が掲げられているのが,この企業の性格をよく表しているように思えました。アメリカは,世界の海,空,金融,学術等々を支配する超大国ですが,そのうちの空の支配を支えてきたのが軍民にわたるボーイング社の飛行機です。案内役のおじさんや工場で見かけた社員の振る舞いも,私たちがイメージするアメリカの雰囲気を漂わせていました。このボーイング社は,第二次大戦後,世界を支配してきた「これまでのアメリカ」を象徴しているように思えました。

 マイクロソフト社はいわずと知れた世界最大のコンピューターソフト会社で,シアトル郊外のレドモンド市に本社を置いています。
 実は今回の新郎新婦はいずれもマイクロソフト社の社員で,そのツテで本社の社内見学をさせてもらいました。
 マイクロソフト社の本社は,緑豊かで広大な敷地に,低層ビルが余裕を以て散在しています。こうしたマイクロソフト社の本社のありようは,日本やアメリカの他の地域であれば思い浮かぶような,周りを睥睨する高層ビル型の本社に対して,ちょうど反対の思想で作られていうように思えました。
 見学コースにはビル・ゲイツをはじめとする創業者の当時の写真が展示されてありましたが,如何にも1970年代を思わせる髪型風貌で,この会社のルーツを見る思いがしました。
 社員は,それぞれ自由な服装で,自主的に動いているように思われ,日本の会社に今なお色濃く残る軍隊的組織原理は感じられませんでした。社内の敷地には店舗も設けられ,社外からの見学者が到るところにみられ,開放的な空間を形成していました。
 こうしたマイクロソフト社のありようは,ボーイング社の雰囲気とは対照的なもので,「これからのアメリカ」を象徴しているように思えました。
 マイクロソフト社の社員の多くは白人でしたが,一定の割合で,アジア系,インド系の社員も見かけました。

 滞在中,シアトルのワシントン大学も見学することができました。
 ワシントン大学は1861年に設立された北西部最大規模の大学で,広大な敷地に風格のある建物が散在しています。夏休みとあって学内は閑散としていましたが,その中でも見かける学生達の中で,アジア系とおぼしき学生の多さに驚きました。後で確かめてもらうと,今やこの大学の3分の1はアジア系,とりわけ中国系だそうです。
 こうした話は他にも色々あり,新婦がITを学んでいた大学では,学生の大部分がインド系と中国系で占められ,アメリカ人は少数派に追いやられていたということです。こうした事実に,世界の将来がほの見えているように思います。
 また,シアトルは港町で,海外からの貨物を受け入れていますが,この貨物の中にも中国からの輸入品が多く見られました。
 中国の影は,こうしてシアトルの地にも,静かに押し寄せているように思われました。

 こうして,シアトルへの旅は,アメリカという国の現在と将来をあれこれと考えさせてくれました。
 シアトルという街のありようは,ボーイング社のような「これまでのアメリカ」を内包しつつも,全体としては,緑の多い,ゆとりのある街並み,オーガニックやフェアトレードへのこだわり,マイクロソフト社の企業としての在り方に見られるような,「これからのアメリカ」を代表しているように思えました。そして,これまでの「重厚長大」的なアメリカに対するような,シアトル的な街,産業,文化の在り方は,日本でも注目し,共感している人も少なくないはずです。
 今後,こうしたシアトルに象徴されるような流れがアメリカの中でどこまで広がるか,アメリカは広大で多様なため予測がつきませんが,少なくとも好ましい,尊重されるに値する方向性とは言えるでしょう。シアトル市民が享受している生活の質の高さは,羨望に値するというのが,短期間の滞在の中での率直な感想でした。

 しかし,このようなシアトル市民の生活は,豊かで広大なアメリカにあって,その中でも高所得の収入を得ている人達だからこそ,享受できていることは確かです。
 今回の新郎新婦をはじめとして,シアトル市民の少なからぬ部分はマイクロソフト社やボーイング社といった,アメリカ屈指の企業に勤めており,20代の新郎新婦の収入は二人を合わせて2000万円を超えています。こうした高所得と有り余る土地があって,初めてシアトルの羨ましい市民生活は成り立ちます。
 シアトル滞在中,感じたことの一つは,この街はアフリカ系アメリカ人の数が極端に少ないことです。シアトルは,基本的には,白人の街です。また,全体に豊かな人々の中にあって,明らかに社会の落伍者と思しき人の姿も見かけました。物乞い,ホームレスの比率は,かつて訪問した上海の街よりも多いのではないでしょうか。

 そして,未来を先取りしたかのような街があって,世界的にも先端的な文明生活を営みつつ,他方では,出入国審査で見られたような城壁を構築して外の世界と対峙しつつ,この国は,今後,どのような方向に向かってゆくのか。
 それは,依然として,世界の動向に決定的な作用を及ぼし続けるでしょう。