黙示録的世界

第二次世界大戦が後世に残した二つの地獄−ホロコーストと広島・長崎への原爆投下

ギュンター・アンダース「核の時代についてのテーゼ 1959年」(雑誌「現代思想」2003年8月号「特集 「核」を考える」68頁以下)は、「1945年8月6日、つまり広島の日から、新しい時代が始まった。」と書き始めている。

第二次世界大戦が産み出したこの二つの地獄に対して、少なくとも敏感な意識を持つ人々は、1959年頃までは、その衝撃と向き合い、粛然と戦慄を覚えていた。1950年代は、なお、人々が、核戦争による人類滅亡を、現実の脅威として意識していた時代であった。

時は過ぎ、現在、人々は、ホロコーストを歴史上の出来事として、核の脅威を平和を保るための「抑止力」という「現実」として、日常意識化しているように見える。そうした中で黙示録的意識を保持し続けてきたのは作家の大江健三郎くらいであろうか。

ホロコーストは進化論的生物学から派生したナチス優生学的人種理論から生み出され、原爆は核物理学の成果であった。こうして、二つの地獄は、人類の科学が産み出した到達点であった。そして、二つの地獄は、希釈化されながらも、福島原発事故やクローン人間の悪夢のように、なお、ホロコースト・広島以降の人類に取りついて離れないのである。