安保法制反対運動の総括・その4

 反原連,しばき隊,SEALDs+SEALDs防衛隊という一連の流れの運動について,どのような点が評価され,どのような点が問題とされるべきか。

 これらの一連の運動は,新旧の既成左翼の硬直した,型にはまった運動のスタイルを刷新し,従来型の運動に拒絶感を持っていた人達に訴えかけ,惹きつける魅力を持っていた。それ故に,その運動は,注目され,ネットやさらにはマス・メディアを通じて広まっていった。その意味で,これらの運動は,従来型の運動の行きづまりを打破し,新たな展望を拓く役割を果たした。

 反原連は,従来のデモ・集会方式に代わって,官邸前の道路に集まり,参加者の個人的な思いを述べる演説や反復継続するコールを浴びせかけるというスタイルで,人数を増やすに従って,確実に官邸に圧力を加えた。

 しばき隊は,従来型の運動が,精々,在特会などのデモとは異なる場所で,対抗型のデモを組織し,抗議の声を上げるという,ある意味上品な運動の域を出なかったのを,在特会のデモに対して歩道から罵声を浴びせかけ,場合によっては,在特会のデモの前や後に,在特会メンバーに付きまとい,恫喝まがいの行動に出るなど,相手方の運動内容・形態をそのまま相手方にお返しするという,粗野な運動をあえて採用していた。

 そして,SEALDsと防衛隊は,かつての先鋭化した学生運動のアンチ・テーゼを目指し,アマチュアの個人に根差した運動にこだわり,反原連などの運動形態を引き継ぎ,メディアの耳目を惹きつけることに成功した。また,安保法制反対運動を担った総がかり実行委員会や野党,メディア,学者集団らがSEALDsを介して相互に乗り入れる形となり,運動の接着剤として重要な役割を果たした。

 反面,これらの運動のスタイルは,既存の運動の,とりわけ,原理原則にこだわる人達との間で,様々な軋轢を生んだ。それは,次第に,運動の路線をめぐる「党派闘争」「路線闘争」の色彩を帯びるに至った。それは,リベラル系も含めた,広い意味での左派系政治・社会運動では避けがたいとも言える。なぜなら,左派系の政治・社会運動は,保守系のような利益追求型の政治とは異なり,本来,「主義・主張」を争うものだからである。しかし,これらの運動に対して寄せられた批判の中には,問題とされなければいけない類のものもあったように思う。

 反原連においては,反原連主催の集会に参加した人達に対する統制の強さが問題とされた。本来,デモ,集会というものは,様々な考え,出自を持つ人達が最大公約数的な集まりの趣旨に賛同して参加してくるものである。そうした集団に対して主催者の考えを押し付け,強要しようとすれば,当然,軋轢が生じる。反原連の主宰者による,団体旗の禁止,取り上げるべきテーマの限定,公安警察との協議による「跳ね上がり」分子の抑え込みなどは,様々な批判を受けた。

 しばき隊については,その運動形態の過激さが,「どっちもどっち」という批判を受けた。尤も,この点については,在特会の悪質さからして,緊急避難的に許されるという見解も多かったと思う。

 そして,SEALDsと防衛隊の場合,新左翼セクト中核派と「党派闘争」状態になったことが,後に批判を浴びる契機の一つとなった。
 尤も,対立する党派を運動から排除するというのは,日本共産党には以前からあった傾向だし(このため,SEALDs=共産党の別働隊説は根強く囁かれた),中核派に至っては対立党派を集会から暴力的に排除するというのは,以前は散々行っていたことだから,この点は「どっちもどっち」と言えることではある。まして,この「党派闘争」は中核派の方から意図的に挑発してしかけた形跡もあったから,排除それ自体はSEALDsや防衛隊が旧来の党派闘争的体質を引きずっているという以上のものではない。問題があるとすれば,これらの運動が,「左右を問わない」という方向を示しつつ,「ヘサヨ」や「中核派」は排除してしまうという,そういう形で党派性を表してしまうというところであろう。
 さらに言えば,防衛隊は,中核派を現場から排除しようとする際に,中指を突き立てるなど,しばき隊が在特会に対して行ったと同様の運動形態を示した点も,一部で問題とされた。つまり,この振る舞いは,中核派在特会並に貶め,「左」と「右」の極端な部分を同列に排除するという態度を示しているのであるが,少なくとも旧来の運動圏にいた者からすると,中核派に如何に問題があるにせよ,在特会と同列に扱うというのは,どうしても違和感を感じさせてしまう。
 しかし,これだけなら,まだ良かったと思う。

 問題は,現場から中核派を排除するために警察官に中核派のビラ撒きをやめさせ,更には,現場から排除するように要請したり,中核派かその近辺にいた人が逮捕されたときに,跳ね上がり行為により逮捕された者が悪いように発言し,それどころか,逮捕者が釈放されたときに仲間を取り戻したと発言した総がかり実行委員会の菱山南帆子さんに非難の言葉を浴びせ,総がかり実行委員会から排除せよというような言動に出る者までいたということである。
 こうした行為は,旧来の運動圏の人のうち,特に社会党系の人達からは嫌われやすい言動である。
 反面,日本共産党系の人達は,かねてから,「トロツキスト」系の人達は運動から排除しようとしてきたし,暴力行為に及んだときは,刑事告訴も辞さなかった。もとより,救援にも手を差し伸べなかった。SEALDsが日本共産党的だとみられていたのは,こういう類似性からも来ている。現に,SEALDsに寄り添っていた共産党系の知識人は,こうした日本共産党的「トロツキスト排除の論理を,そのまま今回の対中核派問題でも述べて,SEALDsや防衛隊の行動を弁護していた。

 しかし,こうした党派闘争の論理,さらには,対権力の姿勢よりも党派闘争を優先させる論理は,各方面からの強い反発を招いた。ネットでは,辺見庸,高島章弁護士,ろくでなし子らがそれぞれの立場から批判を展開し,とりわけ,防衛隊の中枢にいた人達に批判が集中した。ここであぶり出されてきた問題は,決して目新しいものではなく,かつて見た光景であり,これが先鋭化したのが,かつての「内ゲバ」であった。

 この問題は,反原連からSEALDsに至る運動が,かつての新左翼系の運動形態を忌避し,これを乗り越えんとする立場から構築されていたことが否応なく招来したものだったと言える。その意味では,党派闘争を招きよせるのは必然だったと言えよう。問題は,党派闘争を行う際の作法であろう。