政権交代についてのメモ書き(2)

 小泉政権はその誕生から郵政解散選挙にかけての過程で、今回の政権交代劇と似通った雪崩現象を惹起した。
こうした小泉政権の経過を振り返ってみることは、今回の政権交代劇の性格を分析するための参考になるだろう。

 小泉政権が誕生したとき、自民党政権は今日と同じような末期症状を呈していた。密室の談合で選任された森首相は就任当初より人気がなく、その言動で失笑を買い、政権交代もささやかれていた。バブル崩壊後の経済低迷は続き、国民の間では閉塞感が強まっていた。
 小泉首相はこうした閉塞感を一気に打破してくれるヒーローとして、熱狂的歓迎を受けた。
 人々は、「自民党をぶっ壊す」と叫ぶ彼のパフォーマンスに酔いしれた。
 自民党総裁でありながら「自民党をぶっ壊す」と叫ぶ小泉首相のパフォーマンスはトリッキイであったが、当時の国民の集合意識には合致していたのであろう。それは、長年にわたる自民党政権下の安定した社会と生活に執着する一方、その体制が行き詰まり、「改革」を必要としているという、矛盾した意識の反映であった。

 こうして誕生した小泉政権下で推進されたのが、今日、新自由主義という名で呼ばれる、構造改革路線であった。
 この新自由主義改革は、小泉政権が初めではなく、古くは中曽根内閣時代の行政改革に端を発し、90年代には官界、財界、学界で議論が煮詰められ、細川内閣や橋本内閣で試みられていたものであったが、小泉内閣は国民的支持をテコにして、その全面的断行を図ったのである。
 このような改革が断行された背景には、冷戦終結により、社会主義的潮流が退潮したこと、アメリカ的資本主義がグローバル化の波に乗って世界を席巻するかに見えたこと、こうした冷戦終結後の潮流に照らし、低迷する日本経済・社会は時流に適合しなくなっているという意見が強まったこと、かくして、この国の体制エリート内で、冷戦後のアメリカ主導の世界に伍してゆくためには、日本社会をアメリカ型に改造することが必要不可欠であるというコンセンサスが成立したことがある。
 そして、こうした改革を断行するには、財政の均衡化、社会保障の圧縮、規制を緩和し、社会全般に競争原理を持ち込む等の「痛みを伴う」措置が必要であったが、体制エリート達は小泉内閣の国民的人気を利用し、巧妙な世論操作を行いながら、小泉政権下で諸々の改革を一気に加速させたのである。

 こうした新自由主義的改革は、国民の少なからぬ層に不利益を分配する性格のものであったから、そのことがあからさまになれば、改革に対する少なからぬ抵抗を生じてもおかしくなかった。この隘路を突破するために、小泉首相の政治手法は、著しくパフォーマンス的、デマゴーグ的色彩を帯びた。その結果、この国の政治生活は、「偽」的性格を強めることとなった。およそ政治で騙しのテクニックが広汎に用いられるときは、社会の全体を「偽」が覆い、物事はさかしまにされ、真実が貶められることになる。小泉政権下の日本社会は、正にそのような状態に陥っていた。

 この小泉政権の「偽」的性格は、情報操作によって国民の期待を操りつつ、実際には国民に犠牲を強いて、かつ、それを「自己責任」「避けられない痛み」として納得、受容させるというものであった。それは「騙し」によって「希望」を「犠牲」に転嫁する仕組みであった。

 そして、今回の政変は、こうした小泉政権流の「騙し」が破綻した果てに起こったのだと言える。