ニューヨーク滞在記(8)

 ニューヨークに行ってみようと思い立ったきっかけの一つが、NHKのBSで放映されている海外ニュースの紹介番組「キャッチ!世界のトップニュース」で、毎週土曜日に放映されていたマイケル・マカデアさんのニューヨーク紹介番組「@NYC」だった。マカデアさんの切り口は軽妙で、時には、トランプ現象に対するニューヨーカー達の辛辣な批評のインタビューや、ニューヨークで試みられている新しい文化的ムーヴメントの紹介など、ニューヨークが様々な領域で世界の最先端を発信している都市であるというメッセージを発していた。ニューヨークひいてはアメリカを特権的な場所として紹介し、日本人のアメリカに対する親近感を強化しようとする意図に出た番組と思いつつも、そこで紹介されるニューヨークという街は魅力的で、私たちもいつしか、なんといってもニューヨークは世界の首都なのだという思いを抱くようになっていた。

 思えば、ニューヨークが単なる商業の街にとどまらず、文化的にも世界の先端を走っているというイメージは、流行歌でいうと、八神純子の「パープルタウン」あたりからではなかったか。それ以前のニューヨークのイメージは、エンパイヤステートビルディングに代表される摩天楼の街というものであり、即物的な印象が強かったと思う。

 そうして、実際にニューヨークを訪れてみて、マカデアさんの紹介するニューヨークは、もとよりニューヨークの中に存在していたのであろうが、私たちが街をぶらついてみて何とはなしに感じたニューヨークは、少し違う相貌を見せているように思えた。

 待ちゆく人々は、概ね、厳しく、険しい表情を浮かべているように思えた。アメリカ人というときにステレオタイプで思い浮かべる陽気で自由な人たちというのは、そういう人もいたことはいたが、むしろ、そRは少数のように見えた。この街で生き抜いてゆくことは大変なのだろうなと思えた。

 ニューヨーク滞在を終えて大阪の電車に乗り、乗客の表情をそれとなく観察していると、ニューヨークの人たちの表情に比べて、如何にものんびりとして、警戒心のない、平和な表情をしているように見えた。「ああ、人間の住む国に帰ってきた」と感じた。日本に帰国してこんな感想を抱いたのは、今回のニューヨーク訪問が初めてである。

 ニューヨーク滞在中に驚いたのは、ホームレスの人々の多さである。西欧の街でも上海でもホームレスはいたが、ニューヨークほどホームレスが目立ったのは、これまで経験したことがなかった。ウォールストリートであれ、五番街であれ、街中の至るところに、地下鉄の乗車口に、街路に、ホームレスが溢れていた。彼らは、しばしば、ダンボール紙に「私はホームレスです。助けてください」と援助を乞うていた。ホームレスは老若男女を問わず、人種を問わず、白人の少し前まではそれなりの生活をしていたのではないかと思われる人たちも混じっていた。この街では、ひとつ歯車が狂うと、一転してホームレスに転落するようなことが起こるのではないかと思われた。

 街角の一角に、白人の少女とおぼしきホームレスが座り込んでいた。その表情なり身なりなりは、およそホームレスというにはふさわしくない、どこかで間違ってホームレスに転落したのではないかと思われる雰囲気を漂わせていた。

 少女は持っていたパンをちぎっては、そばにいた鳩に分け与えていた。すぐに鳩が群がり、少女は飛び交う鳩の群れの中に囲まれた。それは印象的な風景で、通行人が足を止め、写真撮影し、施しを与えていた。それは、少女の施しを受けるための芸であったのだろうが、私には、ニューヨークという街を象徴する風景に見えた。